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GRD_WALK 10 (東京・表参道)

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※途中で話が脱線しますが、お暇でしたら最後までお読みください。
  日頃から色々と思っていたお洒落論などを書きながら、最後に写真展のご報告です。
  まとめるのが苦手でまた長文になってしまいました。


ちょっと前の話になりますが、東京都写真美術館で標記写真展を見てきました。

前世紀で最も影響力のあるファッション・フォトグラファーだというギィ・ルブタンが目当てでした。


ファッション・フォトに興味はないのですが、ファッションには大変興味があって、よくファッション女性誌を読み耽っていたものです。

そう、男性誌ではなくて、女性誌です。

男性誌は駄目なんです。

早くも話が脱線してきてますが、お構いなく続けさせてもらいます(笑)。


男性のファッション誌は、実用書及びカタログ書以外の何物でもありません。

モノとしての洋服の紹介や、コーディネイトなど現実的で実用的な情報で埋められています。

一方で、女性誌は、実用的な情報も無論ありますが、大きな見出しのブランドの広告ページや、新シーズンのコレクションアイテムの撮り下ろしなど、ハイセンスなイメージ・世界観を見せるページも多くあります。

中には完全に世界観を表現することに特化して、モデルが着ている洋服の紹介すらしないページもあったりします。

結局、お洒落って「これを着てるからアナタはお洒落です」「これを着たらアナタはお洒落です」なんて着飾るアイテムで決まることはない訳で、要は人にどう見せるか、人にどう見て貰いたいか、そういうイメージをまずはしっかり持って、それに基づいて個性とか時代性とかバランスよくまとめつつイメージを人に伝えるのに有効な魅力的なアイテムをピックアップして着用し、表現することだと思います。

この定義の中では、ビトンのバックを持っているから、YSLなんて大きいロゴが入っているからお洒落、なんてことは成り得ません。

よく妻が「このスカートかわいい!見て~(キャピッ)」と声をかけてきますが、私は「だからどうした!」と怒鳴り返します。

そして「お洒落するなら、このスカートをこういう感じで組み合わせて、素材のクラフト感、民族っぽい柄、アース系の色グラデーションを活かして少しフォークロア調のイメージでまとめようかな、今年はフォークロアが来るらしいから(キャピッ)くらい言いなさい!どんなイメージで見てもらいたいのか、そういう話をしなさい。ただ可愛いから買って履きたい、それだけだったらタダのアナタの自己満足ですから、どうぞご自由に!あっそうそうイチイチ私に言わないでもいいから、ヨ・ロ・シ・ク・ネ!」とお笑いユートピアの振り付けをつけてヒス気味にまくしたてます。

お洒落は、人にどうお洒落に見せるかのイメージ作り作業なのであって、一番大切だと思うのはまずイメージを持つことなわけで、「アイテム」選びは目的ではなくてそのイメージを人に伝えるための手段に過ぎないこと、単に周りのみんな垂涎の限定シャネルのバック(?)をもったからお洒落だなんてあり得ないと思います。

まあ、誉めるとしたら、「確かにアナタは人より身なりに気を使ってはいますよ、そこは認めます。」と言ってあげるのかしら。


アイテムをピックアップする際には、徹底すべきは、イメージを伝えるというその1点にだけ従ってピックアップすることでしょう。

やはり私も欲の強い人間なので、自己顕示欲に負けて、単に変わっていて目立つという観点だけで、ゴールドのブーツやゴールドのパンツやこれまたゴールドのブルゾンなんかを着飾ってしまうことがあります。

シャネルのバックを誇示するのと同じで、あまり人のことをいえません・・・・果たしてお洒落を語る資格があるのだろうか(笑)。



イメージを伝えるということにおいて、人に容易に受け入れてもらうためには、他人と自分が共有する共通項を使って相手の気持ちに響く必要があります。

個性だけどタダの変わった人。

例えば“流行"というのは多数のが人が“格好いい"と感じるはずの時代感覚であり、まさに共通項として成立しえますので、“流行"を加えることは、お洒落を見せる相手と共通項を持つことであり、共通項を通して相手の気持ちに響いて、自分のことをお洒落だと思わせることになります。

もっと具体的に言うと、女性で“マニッシュ"な雰囲気を目指すなら、共通項として世の中で男性的とされるピンストライプのセットアップ・スーツ(かなりベタですが)を着用することで相手が受ける印象をコントロールする、これがまさにお洒落をするという作業だと思ってます。

ヒョウ柄で着飾りたい!という衝動を一寸押さえて、気乗りがしなくても表現に徹してピンストライプのセットアップを着用する、こういうイメージの再現が出来る人がいつでもお洒落な人なんじゃないかな、と思ってます。

私は5:5で衝動に走ったり表現に徹したり・・・私はそもそもお洒落なんて語る資格はないのかも。

人よりお洒落に強い関心を持って、人よりお洒落に投資はしているけど、決してお洒落じゃないよ・・・・何となくフッとこんな自己批判が浮かびました・・・・ウフフフ反論できません。



え~、気を取り直して、お洒落作業というのを紐解くと、以上のような感じじゃないかな、と思っています。

そうするとやはり最初に申し上げたとおり、男性誌より女性誌の方が有意義だと言えます。

まず、素敵なイメージを描くことが出発点であり、そのイメージを如何に豊かに育むかという手段として、アイテムを並び立てただけのカタログ書であり、アイテムを単に組み合わせただけのコーディネイトを紹介することが多い男性誌よりは、手の込んだイメージが幾つも収録した女性誌が役立つということです。

別にイメージという抽象世界では、性別に大した意味などありません。

イメージという抽象的な世界では、例えばイメージとしてよく言われる「ジェンダー」「フェミニン」「フォーマル」「カジュアル」「フォークロア」「ノーブル」・・・・などの用語は、男も女も関係なく使われます。

そのイメージを具現化する際に、洋服や小物などの「アイテム」をピックアップする話になり、そこで男としてはこういう洋服とか、女だったらこういうドレスとか、ようやく男女の選択の違いが出てくるだけです。

ゆえにイメージを持つことにおいて、女性雑誌が参考にならないわけなく、むしろ男性雑誌とは比較にならないほど手の込んだイメージが幾つもあるわけですから、女性誌の方がベターです。

昔から、人からよく読む雑誌を聞かれて際に、女性ファッション誌の名前を出すと、女性・男性問わずビックリされます。

当たり前の話だと思うんですけどね。


更に言えば、イメージは抽象的な世界ですから、本人の感受性次第でジャンルを超えてどんなことからも得られるものだと思います。

私が良く読んでいる「CASAブルータス」などは、インテリア・建築の雑誌ですが、建築×モードファッションなんて企画もやっていて、ファッションと別ジャンルとのコラボですが、ファッションのイメージを数倍にも膨らませるような素敵なイメージに溢れてます。

「CASA」は比較的ファッションに近い雑誌ですが、もっとファッションから遠く離れたイメージからでも、お洒落に通じるイメージは得られると思います。

モチーフはなんでもありです。

まあ、お洒落のイメージなら、同ジャンルであるファッションから得た方が形にしやすいというのはあるでしょうが。



で、お洒落はイメージといいましたが、結局のところ、写真もそうだな、と思います。

どんな高画素機材、レンズ、フィルター、画像処理を駆使しても、最終的に問われるのはイメージですから。

写真は結果といいますが、その結果は撮影者の内なるイメージなわけですから。

結局、どんな表現行為も表現者の内なるイメージに根ざすものだから、ということなのでしょうか。



え~、ようやく本題が見えてきました(笑)

なんでこんなことをツラツラ書いてきたかというと、今回「ギィ・ルブタン」写真展を鑑賞して確信したんです。

自分が好んで読んでいた女性ファッション誌にあった写真で表現された数々の素敵なイメージたち、漠然と記憶しているだけですが、それらのイメージのいくつかは少なからずギィ・ルブタンの影響を受けているに違いない、と。

私が女性誌で読み耽ったイメージの数々、その源流に行き着いたような感覚を覚えました。

実はこの人のことはまったく知らなかったのですが、パンフレットにあった「20世紀で最も影響力のある・・・・」という言葉はすぐに理解しました。

それぐらい自分は、色々な写真やイメージを通して、ギィ・ルブタンを身近に見ていたんだろうと。

で、終始感動して会場を跡にした・・・訳ではないのですよ、これが。

大型パネルの代表作を半分ほど見終わった後、ふっと「もういいかな」と思ってしまいました。

理由は簡単、こういうイメージの写真は既に「読み耽っていた」から。

同時に公開されていたプライベートなポラ写真の方が、新鮮味があって印象に残ったほど。

彼の登場した当時は、これらの写真は恐ろしく格好良かったんでしょう。

それゆえ、当然にルブタンらしさはモチーフとして広く求められて、広告などで驚くべき勢いで消費されたのでしょう。

それゆえ今となって何も知らない私のような人間が見ても「ああっ、これって・・・」と初めて見る写真なのに何となく既視感を覚えて、そしてすぐ「所謂、格好いいファッション・フォトね・・・・」と冷めていく、これはこれで正直な印象ですし、間違ってはないと思います。

写真展に行く前に、色々な所でルブタンルブタンと騒がれていたので、こんなつまらない印象に終わるわけがないとかなり粘ってみたんですが、それ以上の感情が湧き上ることはなかったです。

あくまでギィ・ルブタンの作品性に何ら問題はないわけで、鑑賞者である私の要因。

まあ、この日に一緒に見たマイケル・ケンナ展(次に書きます)がかなり良かったこともあって、落胆しすぎたのかも。

けど、雑誌などで繰り返し見て、私の中でそれなりの大きさに育っていたファッション・フォトの格好よいイメージ、その原点がこれなのかもしれないと目の当たりに出来たこと、それだけも十分良かったです。

最後までお読みいただきありがとうございました。本当にお疲れ様です(笑)。
by private__eyes | 2006-06-11 22:47 | GRD_Walk


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