GRD_WALK 10 (東京・下北沢)

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前に書きましたギィ・ルブタン展とあわせて、東京都写真美術館で見てきました。

マイケル・ケンナ展 いや~良かったです。

もともと私は日本のことが好きで、特に外国人が見た日本という観点はすごく興味があって、著名な写真家が北海道を中心に日本を撮影したということであれば、それだけでとても嬉しかったりして非常にそそられます(笑)。

以前に報告しましたヴィム&ドナータ・ベンダース写真展も、日本が撮影舞台というところで妙に思い入れを抱いていましたね。

それだけで、既にウェルカムムード満点ですが、写真がとりわけ素敵です。

標準~中望遠を中心とした安定した構図が実に丁寧に作り込まれていて、3脚使用=構図安定派の私はこういうの凄く好みですね。

モノクロも凄く丁寧にプリントされていて、乳白色のミルキーな世界に墨汁でしたためたような樹木や桟橋、山、岩などの造型が浮き上がっていて何とも幻想的です。

事象を高濃度の純度で抽出した、せいでしょうか、この人は外国人なのに、しっかり「侘び」や「寂び」といった日本情緒も写し込んでいて、よくぞここまで我が愛しき日本を、いや私の承知している日本以上の純日本を描ききってくれたなあ~、と感心することひとしきりでした。

日本ってこんに素敵だったんだ~、とガイジンさんに教えられました。

そうそう、この写真展でも公開してくれてました、撮影する様子(外国での撮影風景ですが)を収録した映像を。

以前も申し上げましたが、撮影のエッセンスを盗む貴重な情報源です。

長時間露光を多用しているようで、2~3時間開けっ放しで、色んなことを考えながらボーッとする露光時間中が癒しの時なのだそうです。

それ、すごく分かります、私も街に身をうずめて何時間も3脚たてて撮影して、通りすがりの人のお洒落を観察したり、近くのカップルの会話に耳をぞばだてたり、通りすがりの若者に話しかけられたり、近所の住民に警戒して睨まれたり、夜遅くになっても公園から帰らない小さな子どどや誰も気づかない路地裏で潜む浮浪者の人生に思いを馳せたり・・・・色々な考えや感情が浮かんでは消えて・・・街に身をさらしてそういった時間を過ごして、家に帰ると妙にスッキリした感じになるんですよね。

良い写真が撮れなかった!なんてストレスも勿論発生しますが、それ以上にどこか癒されて帰ってくる、そんな感覚があります。

シャッターチャンスを待つ時間、あるいは露光待ちの時間、これは忙しい日常ではナカナカ許されない貴重で贅沢な時間、自分を振り返る時間だったりします。

マイケル・ケンナもそうらしく、そのように過ごす時間が好きだと言ってました。

夜の街を3脚担いで徘徊するケンナの姿がまた怪しい・・・・この姿は正に自分だな、と思わずニヤリ。

こんな感じでますますマイケル・ケンナの高感度はアップしていきました(笑)。

1つ長時間露光で勉強になったのは、空や雲や水など動きのあるものを長時間露光で徹底的に質感を減衰させたり塗りつぶしていること。

塗りつぶしたところは、ボンヤリ曖昧な存在感になってすごく幻想的になって、一方で鳥居やテトラポット、柵などのモチーフがグンっと存在感を増す、これが風景から高濃度でエッセンスを抽出してみせるカラクリの1つだな、と思いました。

長時間露光で「塗り潰す」、いいモチーフがあったらトライしてみたい。

そうそう、この日はギィ・ルブタンとのハシゴでしたが、マイケル・ケンナの方が印象に残りました。

彼の撮影スタイル(夜に3脚担いで歩き回る姿)に親近感を覚えたから、というのもありますが、マイケル・ケンナの方が、今の時代の空気にあっているんじゃないかな、と。

ギィ・ルブタンの写真は、ファッションという人の「欲」の最前線で、「欲」を煽る作用を目指す写真だけあって、インパクトがある、つまり主題というかテーマがハッキリしていて、暗喩の部分もありますが大体は全て写真の中に感情が盛り込まれて完結しています。

それに比べて、マイケル・ケンナの写真は、抽象的でおぼろげで、ルブタンの写真ほどすべからく感情が盛り込まれているわけじゃなくて、鑑賞者が自由に感じて思い描く余白が十分にあります。

ルブタンのように撮影した段階で、ほとんど出来上がっている写真って、結局は鑑賞者に狙った感情を(ファッションであれば欲を刺激するということでしょうか)惹起させようとしてくる極めて押しつけがましい側面があると思うんですよ。

けど、今の世の中って、みんながインターネットでつながって、ブログとかで個人の感情を発信するようになっていて、その極めてパーソナルで共感するのが一見難しいと思われる複雑な感情を平気で受け止めちゃったりして、明らかに以前より感受性というかセンスのレベルはあがってきているわけですよ。

そういう感受性が飛躍的に発展している最中のこの時代に、感情を押しつけてくる写真ってちょっとウザかったりするかな~、と思ったんです、それくらい押しつけられなくても感じ取れるわ!って。

それより、感受性の一皮むけたアムロ・レイのようなニュータイプばっかりの今の世には、その長けた感受性を自由に思い描ける余白をたっぷりとったマイケル・ケンナのような写真が、時代の空気を捕らえているんじゃないかな、と全く正反対の両写真展を行き来して感じました。

まあルブタンの写真は雑誌という(ブログと比べたら)マスメディア向けであって、マスメディアは複雑なパーソナル感情なんて相手にするわけもなく、十把一絡げに多数の人に力強く訴求するために次から次へと見栄えのするイメージで気を引いて感情を押しつける必要があったでしょうから、ルブタンはマスメディアがまだ権威を持っていた時代の空気をしっかり先取りしていたのでしょう。

今はマスメディアではなく、個人の発信する感情・情報にこそハッとするような新しさやおもしろさがあると思います。

そういうことで、やはりマイケル・ケンナ写真展の方が今のフィーリングにピッタリということでよかった~、と感じました。

ちなみに、自分の写真でも主題を大きく扱いすぎて、うるさいくらいこれが主題ですという感じになって、自由な感じ方を許さない傾向があるのではないかと危惧していて、風通しの良い写真に憧れているという気持ちがあるので、どうしてもマイケル・ケンナに気持ちが傾きがちになってしまうということもあります(笑)。



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さてさて、気に入った写真家の写真集は幾らしようとも購入するべし、のモットーに則って写真集を購入しました。

高価なだけあってアーティスティックな天然木の外装、繊細な印刷、素晴らしい写真数です。

森山大道が一筆寄せてるのも興味深いです。

お気に入りの写真集を見るなら、お気に入りのお酒で素敵に酔いながじゃないと、ねえ~

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ということで、今日は私の大のお気に入りの「醸し人九平次 別誂 純米大吟醸」をやりながら、心地よくマイケル・ケンナの世界に酔いしれようと思います。

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by private__eyes | 2006-06-14 00:09 | GRD_Walk


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